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読んでもいない読書感想文『嫌われる勇気』

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どーも竹内です。

ほんと、ビジネス書とか自己啓発書って読む機会がなくて、有名な金持ち父さんとか、嫌われる勇気とかも読んだことがありません。基本、漫画、小説、ゲームの攻略本を読むくらいで、勉強になったと感じたのは、進撃の巨人とか、蒼天航路とか、ジョジョとか、そんなんばっかりです。

最近、たまたま堀江さんの本と、革命のファンファーレと、7つの習慣を読んだくらいで見出しだけしか目を通さないという読書スタイルです。(正確には見出しを読んで気になった所だけ読む)

なぜ見出しだけに目を通して読むのかと言えば自分に考える余地を与えたいから。そしてさらに突き詰めたところが本のタイトルと、あとちょっとの情報しか見ずに考えるということです。

例えば、嫌われる勇気の帯には「自由とは他者から嫌われることである」と書かれていました。キーワードとしては、「嫌われる勇気 + あとちょっとの情報」だけで、一冊の本が書けるくらい自分で考えます。

なぜその言葉が出てきたのかということから始まり、自分なりの考えをまとめ、そこからようやく本を読んで見ようかな、と思いはするものの、その頃にはすでに興味も他に向いているので、なかなか読む機会がないのはこのような理由です。

 

嫌われる勇気

世の中を突き詰めて行けば「正しい」「間違い」という概念って本当は無いのですが、それは方向性が無い場合です。目的も自分も人生も仕事も、方向性が定まればそこでようやく「正しい」「間違い」という議論が発生します。

Sという方向を向いている人物と、Nという方向を向いている人物では、それぞれの正しさは異なります。

これを価値観というのですが、価値観の違いはただの価値観の違いであり、「ただ方向性が違う」だけのこと。本来争いになるようなものではないのですが、争いになってしまう理由は「干渉」が発生するからです。

SとNという方向性を例に挙げましたが、実際には無限に方向性が存在し、ひとつの空間を共有しているため、方向性が違うことによる価値観の違いから干渉が始まります。

そして、現代の社会では、他者からの干渉に適応することが道徳でありマナーとして考えられがちな傾向があります。この考え方を例えばSとします。

そしてSという方向性が多数であった場合、Nという方向性を向いている人間は、価値観も異なり嫌われることになるでしょう。嫌われる理由はシンプルで、「干渉に対応することをマナーだとは思っていない」からです。

 

ようするに、

  • 自分の考えや価値観を持って方向性を定める人間(方向性N)
  • 周りの価値観に合わせ自分の価値観を押さえ方向性も多数に合わせる(方向性S)

Nは圧倒的に少数なため、干渉や合わせることを正義だと信じているSにとっては嫌いになる理由が十分ということになります。そしてさまざまな情報を得て行く中で面白い共通点があり、それはNはSとの距離を取りたがり、SはNに干渉したがるという構図が出来上がっています。

 

冒頭に戻りますが、本来「正しい」「間違い」なんてものはなく、ただ価値観の違いです。

例えば、Bの方向性を向いている人間がいたとして、「Bに進みたい」という気持ちがあったとすれば「Bに向かうための方法」を考えそこに向かって行けば良いだけのことで、Gであろうと、IであろうとZであろうと、向かうべき方向に向かうための方法を考えることが目標に向かうということです。

ただ、「干渉に従う」ことを原則とするSに関しては、

B「Bに進みたい」

S「Sにしなさい」

 

B「Bに進みたい」

S「Bは辞めなさい」

 

B「私の考え方はこうです」

S「Bという考えは間違っています。正解はSです」

と相手を認めようとしません。

 

本当に考えることは

Bに進むのであれば、Bを知り、Bに対して知識や経験を身に付け、どうやったらBに向かって行けるのかを考える。

これで良いはずなんです。

 

Sから嫌われる勇気

ようするに、私が考えた嫌われる勇気とは、Sから嫌われる勇気であり、そうしなければ目的を信じて進めないということだと受け取りました。そして、少数ではあるものの、S以外の人間が向かった先には「お互いを認め合える」人間が必ずいるということを信じて進めば、きっと人生が豊かになりますよ、という本なのかな、と感じました。

 

もちろんSに対しては否定も肯定もなく、Sという方向性を信じるならそのままで良いと思います。ただ、お互いを尊重するし干渉はしないから、そちらも干渉だけはしないでね、というものなんですけど、協調性という干渉を本気で正義と考えているので、まずはその概念から抜け出すために「(Sから)嫌われる勇気を持ちなさい」というものが、読んでもいない読書感想文です。

そこでひとつ思うこととして、嫌う人間がいるから嫌われる勇気が必要なのだと感じたと同時に、嫌う側の人間は、嫌われる人間が直すべきだとも考えているから余計に干渉が起こるのだと感じました。

 

実際に私も干渉したことがありますが、それは間違っていたと思います。

正解は何も言わないことであり、その状態で合うのであれば共感し、違うのであれば違う、それだけのことだったんです。

ただ、Nに向かいたいというのであれば、Nに向かう方法は考えますが、SでありながらNに向かう事は困難なので、干渉してしまったということです。

 

迷惑という言葉で黙らせる

補足として「誰かに迷惑をかける・かけない」という圧力は恐ろしく窮屈に変化させています。赤ん坊が泣くから迷惑、公園で遊んでいる子どもの声がうるさいから迷惑、誰かに嫌な思いをさせたら迷惑、食べ方が自分とは違うから迷惑、とにかく何かあれば迷惑、迷惑、迷惑。

誰にも迷惑をかけない方法ってなんだ?って思った時に、死ぬことだと思ってしまったんですよ。そして死ぬ方法にしても迷惑をかけない方法を選ぶ必要がありますね。

実際に死ぬ必要はないですが、自分という存在を奥底に閉じ込めて、毎日毎日、ひとに迷惑をかけないように生きる方法が社交的で素晴らしい人間だと思っているだけなら別に問題はありません。

それがマナーだと思い込み、みんなそうあるべきと干渉を引き起こすから、このような連鎖が起こり、そこから抜け出そうという人間が増えて来ているということも興味深いと感じました。

 

ネットビジネスとは全く関係がないように思えますが、方向性を定めて進むということがどれだけ難しいことなのか、そしてそこを乗り越えてこそ本当の居場所が見つかるのではないでしょうか。

勘違いして欲しくないこととして、だから人に迷惑をかけても良いのかという話ではなく、Nに進めば誰かからは嫌われますよ、ってことです。それは迷惑をかけるということではなく干渉を受けているだけのことです。

赤ん坊は泣きたい時に泣きます。それを迷惑だと感じたり嫌な気持ちになる奴らに合わせる必要はありません。

(↑こうやって言うからマナーの無いやつだと嫌われる)

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